一応、東大女子ですけど、すみません

恋愛とか人間関係とか、ふつうの東大女子による些細なあれこれ。

大学受験とは一体なにか

自分自身は中学受験と大学受験の経験があり、いまもアルバイトで大学受験の指導をしている。

毎年たくさんの学生が合格し、同時にたくさんの学生が落ちている。

それを見るにつけ、考える。

 

大学受験とは、一体なんなんだろう。

 

ある先生曰く、「18年間の総決算である。」

 

「中高6年間、他の人より勉強をしましたか?」ということを聞かれるのが大学入試だろうか?

たぶん、それを聞いてくるのは、全国模試。

模試で緊張しない学生が、ときに大学入試本番で緊張するのはなぜか。

模試でよい成績だった学生が、ときに大学入試で失敗するのはなぜか。

「あなたはこれまでどうやって生きてきましたか?」と訊ねてくるのが大学入試だからだ。

 

各大学が独自の試験問題をつくる。

その問題たちは、「こんなひとがほしいです」という大学からのメッセージだ。

「あなたはどんなひとですか?」という大学からの問いかけだ。

ただ勉強のできる学生が合格するわけじゃない。

その大学のメッセージに合う学生が合格するのだ。

 

自信をもってほしい。

今更じたばたしても、結果は変わらない。

あなたがこれまでどうやって生きてきたかを、解答用紙に全部ぶちまければいい。

それができれば、結果はどうであれ、悔いのない受験であったと言えると思う。

 

 

好きの定義

「好きの定義とか分かんないけど、このきもちを好きって言うんだってことは分かるよ」

 

好きの定義が完成していたら、たぶん世の中から小説や音楽の半分くらいが消えるだろう。

今日まで誰も完成させることができなかったから、また新しい小説が、音楽が挑み続ける。

 

得意げに惚気話をする男の子を、心から尊敬する。

盲目的に恋してる女の子を、かっこいいと思う。

彼らは、「好き」とはなんであるかを知っている。

 

ひとを愛せるのがひとだとしたら

少女漫画は言う、

「幸せって、お金でも名誉でもなく、ひとを愛せるってことなのかもしれない」。

 

私はその度に傷つく。

心がえぐられて、血がにじむような苦しさがある。

 

ひとを愛せないひとは、幸せにはなれないのですか。

 

自分の気持ちほど、自分の思い通りにならないものはない。

このひとを好きになりたい とどんなに強く願っても、好きになれない。

 

これまでの人生で誰も好きになれなかった私は、

これからの人生でも誰も好きになれずに死んでいくのかな。

私はとても怖い。

 

「誰かを心から愛せないひとは欠陥品だ」

「真の幸福も知らないなんて、かわいそうね」

そういう言葉がどこからともなく聞こえてきて、私の心を縛る。

 

ひと愛せるのがひとだとしたら、私はひとになれない。

ひとになれない私は、ひとから価値を否定され、憐れまれて、生きていかなきゃいけないんだろうか。

 

誰かを心の底から好きになりたいという切迫した願望を抱えて生きることは苦しい。

 

私もいつか、あなたのように、ひとを心の底から好きになれる日が来るかな。

 

私にはこのひとしかいない

ある友人が最初の彼氏と付き合い始めたとき、

「わたしのことを好きって言ってくれるひとなんてこの人くらいしかいないから」

と言っていたのを覚えている。

当時のわたしは、そんな理由で付き合うなんて違う、と思った。

 

でも、今のわたしはそうは思わない。

「わたしのことをこんなに好きと言ってくれるひとはこの人しかいない」という感覚なしに付き合うなんて不可能だとまで思う。

そうでなければ、「他のひともわたしのことを好きと言ってくれるけど」という感覚であるのならば、

相手をいつも他のひとと比較して、どのひとが一番自分にとって都合が良いかを考え続けることになるのではないだろうか。

条件を並べて、数量的にひとを比較しあうその中に、果たして恋は愛はあるだろうか?

 

このひとしかいない。比較ではなく、このひとしかいないんだ。というどんづまりの感じの中でしか、愛は生まれないのかもしれない。

 知らんけど。

 

はるはあけぼの

今年も 春一番が吹きました。

 

思ったこと考えたことの些細な記録。