一応、東大女子ですけど、すみません

恋愛とか人間関係とか、ふつうの東大女子による些細なあれこれ。

「失敗」をすることに一生懸命な日本人

 

「一度も失敗をしたことがないひとは、新しいことに挑戦したことがないひとだ。」

 

 

私はたぶん、「失敗をしたことがない」。

中学受験は4校全部合格したし、

大学受験も、東大、早稲田、慶應を受験して全部現役合格だ。

そういうのを失敗の基準だと思う人からしたら、私は失敗をしたことがない人間に見えるんだろう。

 

自慢だと思わないでほしい。

「失敗」をしたことがないことは、悪いことだ。

 

道徳の授業では、失敗の末に大きな成功を収めた偉人の「失敗」が称賛される。

JPOPを聴けば、「失敗してもくじけないで」とか「失敗の数だけ強くなれる」とか感動的な歌詞が飛び込んでくる。

一度も失敗をしたことがないひとは、新しいことに挑戦したことがないひとだ。」という言葉が「名言」として需要される社会。

 

きっと私は大きな成功を収めることができない。

きっと私の心は挫折を経験したことのない弱い心だ。

きっと私は何も挑戦したことのない臆病者。

失敗したことのないことが、大真面目に、私のコンプレックスで、人に言うのも恥ずかしかった。

恥をしのんで友達に打ち明けたとき、「勝ち組でいいね」と言われた。

 

とても哀しい気持ちがした。「失敗」したいと切実に願った。

  

私だって、失敗したことがないわけじゃない。

言葉を間違えてひとを傷つけたことは1回じゃない。

 でも、そんなんじゃダメ。

もっとはっきりした「失敗体験」がないとダメなんだ。

誰もが認めてくれるような、「失敗体験」がないと...。

 

なぜ、失敗体験がないと、だめなんだろう?

 

たぶん、失敗体験を伴わない成功談は、歓迎されないから。美談には、それを彩る失敗談がないと、だめなんだ。ただの成功は自慢にしか聞こえなくて、世間の嫉妬をかう。

 

実際、大きな成功を収めた人はなにかしらの失敗体験をもっていることが多い。

でも、中学合格だとか、大学合格だとか、そういう本人の努力だけで結果を容易にコントロールできる事象に対してまでも、「失敗談」を要求するのは違うと思う。

努力したから、得るべき結果を当然得たひとに対して、「勝ち組」と呼んで嫉妬するのはお門違いだ。

成功は良いことだ。成功者の足をひっぱるのは、日本の恥ずべき風習だ。

いまいちど、考えてみてほしい。

成功を称賛するのではなく、そこに至るまでの「失敗」の方を称賛するようになってはいまいか。

成功者に対して、やたらと「失敗談」を期待してはいまいか。

その成功を、失敗談なしに"許す"ことはできないだろうか?